母のこと・3

ママが入院した翌日は金曜日でした。
会社へ行き、たまっていた仕事を片付けつつ上司に状況を報告しました。繁忙期も近づいていたので、もうしばらく不定期出社でご迷惑おかけしますが…と断りを入れ、仕事をしていると父からLINE。
夕方になって熱が上がってきており心配なので父は病院に宿泊するとのこと。ただ、実家には犬がいるので犬の散歩とご飯などをしてやらなければいけないので、急遽金曜日仕事が終わったら実家に戻ることにしました。

連日のバタバタで疲れていたのもあり会社から実家へはタクシーで向かいました(めっちゃ贅沢)。なぜか疲れている時に限って乗るタクシーの運ちゃんが饒舌なんですよねえ。
乗る距離が結構あったので運ちゃんには珍しがられ、なんやかんやで事情を説明したりしたので最後降りる時に「お母さんのお身体が良くなりますように」と声をかけてくれました。

実家に帰って誰もいない家の明かりをつけると不安そうな犬が飛びついてきました。軽く散歩に行ってご飯をあげ、私はどうしようかな、あんまり食欲もないなあ…と思いながら実家の冷蔵庫を開けると私の好きな銘柄の缶チューハイがしこたま準備されていました。
私はお酒が好きなので、昔から実家に帰る時は両親が気を利かせて缶ビール(自分たちは普段発泡酒しか飲まないのに本物のビール!)や缶チューハイを用意してくれていたのですが、
この1年くらいとある銘柄の缶チューハイに大ハマりしておりママにもそれを話していたので、父が別の銘柄のチューハイを買ってきてくれた時「はらぺこはそれじゃないの!◯◯ってやつがいいの!」と介護ベッドの上から父に指示していたのを思い出しました。
そして、ママが病院に行く直前に食べていたおかゆの梅干しや、少し何か飲みたいと言って一口、二口だけ飲んだ飲みかけの野菜ジュースが冷蔵庫に入っているのを見て、それまで我慢していた涙がブワッと溢れました。
こんなことは考えたくなかったけど、ママが無事にこの家に帰ってきて野菜ジュースの残りを飲めるのかどうか。
父が買ってきてくれたチューハイを飲みながら一人でワンワン泣いて、いつの間にかそのままリビングで寝てしまいました。

翌日土曜日は、弟と一緒に病院にお見舞いに行く約束をしていました。
弟は仕事の都合でこの数年遠方で暮らしているのですが、こちらに住んでいる遠距離恋愛の彼女がおり、ちょくちょくデートがてら帰ってきては実家にも顔を出していました。
この時も、もともと前から金曜日に有給をとって帰ってきて彼女とデートをし、土曜日には実家に顔出すよーという予定だったのですが、LINEで事情を説明してお見舞いに行こうという話になっていました。
ただ、金曜日はせっかく前々から計画していた遊園地に行くのに、ママっ子の弟に心配させるような話をして遊園地が楽しめなかったらかわいそうだなと思い、具体的な病状やここ最近のママの様子は話していませんでした。
金曜日の深夜、もう遊園地から帰っている頃をみはからってママの詳しい状況をLINEし、少し厳しい状態になっていることも伝えたのですが、いざ病室に入った弟は、ボロボロと泣き出しました。
ママはそんな弟を見て「ははは、なんで泣いてんの〜?」と笑いました。弟は「だってこんな状態だって知らなかったから…心配だもん…」と顔を真っ赤にして泣いていました。
最後に会ったのは3月に処置入院をして退院をした時で、その頃はかなり体調も良くなっていたのでご飯も普通に食べていたし、自分で歩き回っていたころです。たった1ヶ月前のことですが。
その時に弟がおみやげで買ってきたご当地のお茶漬けの素と名産のお菓子を、ママが「お茶漬けだとサラサラ食べやすいね〜このお菓子もおいしいね〜好きなんだよね〜」と食べていたのを覚えていたので今回もそのお茶漬けの素とお菓子を買ってきていたのです。
でも、もうその時の母にはお茶漬けどころかおもゆも食べる気力はありませんでした。

少し病室から席を外して、父と私と弟でカフェテラスに行き、父から状況説明を受けました。
腫瘍が腎臓にも及んでおり、腎臓から出血しているため血尿が出ていること。
よって腎臓自体が機能をしなくなり始めているので、ほとんどおしっこが作られていないこと。
そのため尿毒症になってしまい、体に溜まった毒素で高熱が出てしまっているのではないかということ。(吐き気もそのせい?)
尿毒症を改善する治療や処置は、もうママの体力では耐えきれないこと。
よしんば処置を受けられたとしても、それがママの根本的な治療にはならないこと。
尿毒症がすすみ体の中に溜まっていく毒素が心臓にまわってしまった場合、心臓は止まってしまうこと。
そうなってしまった場合、延命措置を望みますか?と先生から確認されていること。

延命措置を選択しても、ママの体の中にはすでにたくさんの腫瘍ができている。延命している間に根本的にそれを治せる治療ができるわけではない。ただ苦しい思いをする時間を延ばしてしまうだけ。
尿毒症になると、その進行に従って少しずつ、少しずつ意識がぼんやりしていき、最後は眠るような状態になるので本人に苦しみはありません、と先生は言っていたようです。
私たち3人は、ほとんど迷わず決断しました。

3人で病室に戻ると、ママは「3人で何話してたのー?」とカラカラ笑っていました。
私は「これからみんなで交代で病室番するから、シフト組みの相談だよ!」と返しました。まあママも薄々3人が何を話しているか…わかったと思いますが。
その後父は一度会社に行かなければならないので病院を出、私と弟で病室に残りました。
3人でたわいもない話をしていると、看護師さんが入ってきて「お身体を拭いたりケアをするので少しの間だけお外でお待ちください」と言われたので私と弟は病室を出ました。
病室を出ると、主治医の先生が待っていました。「すみません、少しだけお話させてください」と。(素晴らしいタイミングの配慮だ)

ナースステーション横の個室に通されると、主治医の先生は私たち姉弟に、「ご主人様(父)には既にお話しているのですが…」と、わかりやすく母の身体の状況を説明してくれました。
そして、いざというときの選択のことも。
「先ほど父からも先生からのお話は伺いました。3人で話して、自然に任せようと思っています。延命は、しません。」
先生は「うん、わかりました。では、今後はお母様のお身体ができるだけお辛くならないように、という処置をしていきますね。」と微笑みを絶やさず緩和ケアの説明もしてくれました。

お礼を言って病室に戻ると、すでにケアは終わっておりママはぼーっとしていました。
あたたかいタオルで身体を拭いてもらって、気持ちよかった〜と言っていました。
しばらくすると先生も病室にやってきて、今後の処置の説明をママにもしてくれました。
「緩和」とは口に出さないけれど、今ある吐き気、高熱に対してこのようなお薬を投与してみます。昨晩高熱が出た時に血液検査をしたので、どんな菌が悪さをしているか今調べています。その菌に効くお薬を入れますね。など。
ママもうん、うん、と頷きながら聞いていました。最後に先生が「それで大丈夫でしょうか?」と確認すると「とにかく、痛いの、気持ち悪いのは嫌なので…」とママは言いました。
先生は「そうですよね。私たちもできるだけそれが取り除けるように頑張りますね。」と言ってくれました。本当に丁寧で患者目線のいい先生だなあ…と思いました。

そうこうしていると夕方になり、父からLINE。
会社から家に帰ってきたけど、ママは大丈夫そう?と心配しているので、今のところ普通におしゃべりしてるし大丈夫だよ。と返しました。
ところがそれからしばらくもしないうちにママが「…なんか寒くなってきた」と言いだしました。
あれよあれよと言う間にママはガタガタ震え出し、これは高熱の出る兆候だ!と判断した私はナースコールを押しました。
すぐに看護師さんがきてくれて熱を測り、「体温が上がってきているので今夜も熱が出そうですね。もう解熱剤入れちゃいましょう」と解熱剤を投与し始めてくれました。
それ以外にできることはないので、私と弟は寒がるママをひたすら温めようと、家から持ってきたブランケットをママの頭に巻いたり(虫歯のほーたい、みたいな感じで)、手を握ったり、病院のタオルを追加して身体にかけたりとひたすら温めていました。

しばらくすると父が帰ってきたので、今夜も熱が出そうで解熱剤を入れてもらっていることを伝え、私と弟は家へ戻り、父は病室に宿泊となりました。
(ちなみに、このあとは悪寒がおさまり「暑い!!!」と言い出し父はママが寝るまでずっとうちわで扇いであげたそうです)